大判例

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大津地方裁判所 昭和35年(わ)226号 判決

被告人 藤井貞夫

昭五・五・一〇生 自動車運転者

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は京都市交通局所属乗合自動車運転手であるが昭和三十四年八月六日午後五時五十五分頃降雨中右交通局比叡山ドライブウエイ線の乗合自動車京二あ〇四一二号に客大木信三外約六十四名及車掌出口雅子を乗せて運転し大津市坂本本町地先比叡山自動車道(比叡山自動車道株式会社建設舗装道路)上を西尊院前より該自動車道登り口(右会社トールグート)に向い同車道登り口起点より約五千六百米乃至五千三、四百米の区間に差しかかり右西尊院前附近の上り勾配から下り勾配となつている坂路に進んだ際雨と雲霧のため前方の見透し不良であり道路彎曲箇所が連続して下り勾配が七パーセント勾配より十パーセント勾配となり嶮しくなつている箇所である上路面が雨水にぬれ自動車のタイヤが滑べり易い状況にあつたのであるから乗合自動車運転者であるものは車輛総重量約十二瓲であり車長約十米であることをも顧慮し右の下り坂路においてもスリツプせず何時でも急停車できる程度の緩い速度に抑制し前方の道路彎曲等の状況を周到に注視し慎重適確にハンドル、ブレーキ等を操作し万一スリツプ等の虞が生じたときは確実に一時停止し安全を確認して進路を正しく執り危害の発生を未然に防止する為万全の措置を講じなければならない業務上の注意義務があるのに拘らず被告人はこれを怠り右上り勾配において自動車変速機を前進第二速としていたのを所謂セコンドエンジンブレーキとして用いただけで無謀にも前記下り勾配が七パーセントより十パーセントに増している下り坂路に入り見透し不良のまゝ時速約二十五粁乃至三十粁の速度で下り進行した過失により前記起点より距離約五千四百米附近の路上に於て右自動車後車輪を左右にスリツプし始めるに至たらせたが急な速度のため安全停車をなし得ず把手を左右に切つて進路を立て直おそうとしながら約三十米進行し右自動車を該道路が左に彎曲している箇所の右側山腹に接近させ驚いて急いで把手を左に切つたが同自動車車体右側後部を右山腹の石垣に激突させ該衝撃に因つて別紙一覧表記載の通り前記乗客中大木外十一名及び車掌出口に加療又は治療約十日乃至四月間を要する各傷害を負わしめたものである」というのである。

そして、(証拠省略)

を綜合すると、被告人は当時京都市交通局所属乗合自動車運転手として乗合自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和三十四年八月六日午後五時五十五分頃、右交通局比叡山ドライブウエイ線の乗合自動車京二あ〇四一二号(車輛総重量約十二・五瓲、車体の長さ約十米、幅約二・五米)に乗客大木信三外約六十四名及び車掌出口雅子を乗せて公訴事実記載の自動車道(アスフアルトコンクリート舗装)を運転し、公訴事実記載の地点にさしかかつたが、同所は下り勾配が七パーセントより十パーセントに変り嶮しくなつており、しかも十分程以前より降り始めた雨のために路面がすべり易い状況にあつたこと。被告人は終始前進第二速でこれをいわゆるセコンドエンジンブレーキとして進行していたが、公訴事実記載の地点で右自動車後車輪を左右にスリツプし始めたのでハンドルを左右に切つて進路を立て直そうとしながら、約三十米進行したが、そこで道路が左に彎曲しているので把手を左に切つたところ、同自動車の後部車輪が右方へ大きくスリツプしたため同自動車車体右側後部を右側山腹の石垣に激突させ、その衝撃によつて乗客中大木信三外十一名及び車掌出口雅子にそれぞれ公訴事実記載のような傷害を負わせたこと当時雨と雲霧のため視界は約十五米乃至二十米で前方の見透しはよくなかつたこと及び本件自動車道は五、六十米毎に彎曲しており、右側は山で左側は谷になつていることが認められる。

そこで右事故は被告人の過失によるものであるかどうかを検討しなければならない。

右に認定したように本件事故現場の道路はアスフアルトコンクリート舗装であつて、彎曲個所が連続しているうえ当時降雨のために最もスリツプの起りやすい状況にあつたこと。しかも本件事故現場は十パーセントの下り勾配であつたこと、本件事故発生当時は雨と雲霧のために見透しの悪い状況にあつたこと、本件自動車の車体及び乗員の重量総計は約十五瓲であり車体の長さは約十米であつたこと、当裁判所による検証調書及び被告人の当公廷での供述によれば本件事故現場附近は自動車オイルの落下跡が多く降雨の際は特に滑りやすい場所であつて、被告人もそのことを本件事故発生以前より知つていたことが認められること等に徴すれば、一般的に自動車運転者としては、特に慎重に運転し、速力も晴天の場合より相当落し、且つハンドル及びブレーキの操作を適正にしてスリツプを起さないように操作し、万一スリツプの虞が生じたときは次第に速力を落して確実に一旦停止する等して危害の発生を未然に防止するよう万全の措置を講じなければならない業務上の注意義務があるものといわなければならない。

それでは被告人は本件事故現場までの下り坂を時速何粁で進行してきたであろうか。

西村捨蔵の検察官に対する供述調書並びに大木信三の司法巡査及び検察官に対する各供述調書によれば「四十粁位の速度であつたように感じた」旨の供述記載があり、また足立牧太郎及び菅井乾一の各検察官及び司法警察職員に対する各供述調書並びに原田史子及び西村浅子の各司法巡査に対する各供述調書によれば「かなり」或は「相当」速い速度であつた旨の供述記載がある。しかしながら、これらの人々はいずれも本件自動車の乗客であつて、当時の天候及び本件自動車道の地形等から或程度危倶の念をいだいていたことを度外視してはならない。何故ならば出口雅子の検察官及び司法巡査に対する各供述調書によれば「四明ヶ嶽を出発する際ヽヽヽヽ六十六人乗つていた乗客のうちで危いという人が出て来ましたが、運転手も私も大丈夫ですと云つておきました」との供述記載があることと既に認定したような当時の天候及び本件自動車道の地形等から危倶の念をいだきやすいことは通常の人間の心理状態に照し当然考えられることであるからである。しかして、危倶の念を抱いている場合には自己の乗つている自動車の速力を真実以上に速く感じることは通常ありうることである。更にまた前記の人々は本件事故に遭遇した人々であつて、人がこのような事故に遭遇した場合には、事故発生の瞬間まで自己が乗つていた自動車の速力を想起するときは、これまた真実以上に速く感じるものである。したがつて前記各供述記載をそのまま額面どおりに受けとることはできない。

また山田喜代子の検察官に対する供述調書によれば「この前に私がドライブウエイを下つたときと同じ位の速度」との供述記載があり、出口雅子の検察官に対する供述調書によれば「普通この路線を走るバスに乗つている時よりも多少遅かつたと思います」との供述記載がある。そこで、被告人の供述をみると、被告人の司法警察員に対する昭和三十四年八月七日附(一)、検察官に対する同三十五年二月二十二日附同年六月二十五日附及び同年十一月一日附各供述調書によれば時速二十五粁までであつた旨一貫している。そして当公廷では、「二十粁から二十五粁までの速度でした」と供述している。

しかして、証人柳原勇の当公廷での供述によればセコンドで本件事故現場の勾配を下るときは最高二十五粁以上は出ません旨供述している。

以上を綜合して考えると本件事故発生前の本件自動車の速度は約二十五粁であつたと認定せざるを得ない。検察官は時速二十五粁乃至三十粁であつたと主張しているけれども、本件自動車の本件当時の総重量(乗員を含む)と勾配を考慮に入れるとアクセルの操作如何ではセコンドでも時速三十粁の速度が出ることも可能ではあろうが、時速三十粁の速度が出ていたことを断定するに足る証拠はない。

そこで、右の時速は自動車運転者が本件事故当時のような状況下において遵守すべき注意義務に違反するものか否かについて考えるに、証人柳原勇の証言によれば本件ドライブウエイの制限時速は二十五粁であること及び本件事故当時の如き状況下において、本件事故現場を通過する際は時速二十粁が最適であることが認められる。したがつて本件事故当時のような状況下においては、自動車運転者としては時速を最高二十粁に抑えて運転しなければならない業務上の注意義務があるものと考える。そこで被告人が本件自動車を時速最高二十五粁まで出して運転したことは右注意義務に違反して稍々速力を出し過ぎたものといわなければならない。

検察官は更に本件のような場合には第一速(ロー)或はいつでも急停車できる程度の緩い速度に抑制すべきであると主張するけれどもこれは事故が発生して後に結果的にその方が望ましかつたといいうるに過ぎず未来に突然起るところのスリツプを現在に予定した上で、乗合自動車の運転手に右の如きことを要求することは、自動車運転者に要求し得る業務上の注意義務の範囲を越えたものといわなければならない。

そこで前記過失が本件事故の原因となつたかどうかについて考える。

先づ、仮に被告人が時速最高二十五粁ではなく最高二十粁で本件道路を運転していたならば前述の如く本件事故発生現場の三十米手前で本件自動車の後車輪が左右にスリツプし始めなかつたであろうか。或はスリツプしなかつたかもしれないが、それでもなおスリツプしていたかも知れない。この点を明らかにし得る証拠は存しない。

次に被告人には、右地点でスリツプし始めてから以後の措置において欠けるところがあつたかどうかについて考える。急な下り坂で自動車の後部が左右にスリツプを始めたときに急停車の措置を講じることが危険なことは経験則上明らかである。そこでこのような場合自動車運転者としては右にスリツプした場合は把手を少し右に切りながら軽くブレーキを踏み、左にスリツプした場合は把手を少し左に切りながら軽くブレーキを踏み、かくしてスリツプを殺しながら徐々にスピードを落す以外に最善の方法がなく、このことは証人柳原勇の証言及び押収にかかる運転手必携に照しても明らかである。

そこで、被告人がどのような措置を講じたかをみるに、被告人の検察官に対する各供述調書及び被告人の当公廷での供述を綜合すれば概ね右の趣旨にそうような把手及びブレーキの操作をしたことが認められる。ところが既に認定したように、その一瞬後に道路が左に彎曲しているところにさしかかり、車体が右側山腹に接近したので左に把手を切つたところ本件自動車の後部車輪が右方へ大きくスリツプしたために車体右側後部を右山腹の石垣に激突させて本件事故となつたものである。そこで前記の操作に過失があつたかどうかについてみるに最初突然スリツプが始まつたのは本件事故現場の約三十米手前であり、そのスリツプが始まつた地点から約二十米進行したところで、道路が左へカーブを始めていることは当裁判所による検証調書によつて認められる。したがつて、前述のようなスリツプを殺す操作をしながらしかも総重量十五瓲の車を前方の山肌に衝突しないように左方に旋回させ、或は前方の山肌に衝突する前に停車させることは至難のわざを要するものであつて、被告人のとつた措置以上のことを要求することはできない。要するに既に認定したように本件事故現場附近が丁度彎曲個所になつていた上、オイルの落下跡が多かつたため最悪の条件が重なり合つてこれが最後のスリツプを誘発したものと思われる。もつとも、被告人はそのことを本件事故発生以前より知つていたとはいうものの前記のような火急の場合にそのことをも考慮に入れて被告人のとつた措置以上のことを要求することは自動車運転者に要求しうる業務上の注意義務の範囲を越えるものといわなければならない。

そこで、最後に仮にスリツプを初める前の時速が二十五粁ではなく二十粁であつたならば最初のスリツプが起つても、本件事故は避け得たであろうかについて考えるに、既に認定してきたような状況のもとにおいては、仮に時速が二十粁であつたとしても同様の措置しかとれず、同様の結果が発生していたのではないかという疑いが残る。少くとも本件事故を避け得たと断定するに足る資料は存在しない。

以上説示したところを綜合すると、被告人が時速最高二十五粁で本件自動車を運転した点に過失はあつたけれども、その点以外に過失はなく且つ、右過失が本件事故発生の原因をなしたものと断ずることはできない。

なお、被告人が本件事故現場附近で本件自動車を山側に接近させず道路中央を進行して左方に旋回していたならば仮にスリツプをしても本件事故が発生していなかつたかも知れないと思われるのでこの点について考えるに、被告人が本件自動車を意識的に山側へ寄せたことは被告人の当公廷での供述によつて明らかである。しかしながら、もしスリツプその他の原因で谷側に転落したならば山側に衝突或は接触する場合に比し計り知れない程の大きな事故を生ずることは明らかであるから、本件自動車の車体の長さは約十米であり、当裁判所による検証調書によれば本件道路の幅は事故現場附近で約九米であることが認められることに徴し、本件事故現場のような状況の場所では雨天の場合自動車運転者としては自動車を山側に接近させるのがむしろ当然であろうと思われる。また、証人柳原勇の証言によれば同人もこのような場所では、雨天の場合山側へ車を寄せるように運転していることが認められる。したがつて、この点について被告人に過失はないというべきである。他に被告人に過失を認めるべき資料は存在しない。

なお、証人堀井三喜蔵の当公廷での供述及び司法巡査堀井三喜蔵作成の捜査復命書によれば本件事故発生前後に相当数の乗合自動車を含む車輛が本件事故現場道路を無事通過したことが推認されるけれどもこれらの車輛が如何なる条件(天候に限らずあらゆる条件を含む)のもとに通過したか不明であるのみならず、他に無事通過した車輛が相当数あつたというだけで、被告人に過失があつて、それが本件事故の原因となつたと断定することはできない。

これを要するに、被告人に業務上の過失を認めうるけれども、その過失と本件事故発生との間に因果関係を認めるに足る証拠がない。すなわち不可抗力であるかも知れない疑いが残るので、刑事訴訟法第三百三十六条後段により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 佐古田英郎)

(別紙傷害一覧表省略)

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